2015.08.28(金)
突然の別れから、現実か夢かわからないような時間が流れ
サリーがいないことで、すべてのやる気を失ってしまい
最低限の仕事をただただこなすのが精一杯で
食欲もなく、睡眠もとれず、生きていることが楽しくない・・・悲しい・・・
そして、気持ちの中では
「サリーにもっとしてやれることがあったはず」と後悔ばかりで
考えるほど、苦しくなって・・・
ちょうど夏休みの仕事や、お祭りや花火大会やお盆があり
私自身ものすごく忙しくて
日中は人に会い、仕事や会話をしていると、そのことは忘れていて
仕事が終わって会社に帰ると、また思い出し・・・
まだこのブログでお知らせする気力すらなくて・・・
いえ、10年以上記録してきたのだから
最期のお知らせも当然きちんとすべき、自身の記録としても残すべきと
何度も書き始めたのですが、苦しくなって記事としてまとまらなかったのです。
それより、サリーの最期は自然な寿命と運命に任せる
全身麻酔をかけるような検査や延命はしない、と決めていたのに
「なぜ死んだのか?」を知りたくなって
夜な夜なパソコンで原因を探し出しました。
犬の病気のこと、検査のこと、サリーは何の病気だったのか・・・
知りたくて知りたくて・・・
知ったらもっと自分を責めるかもしれないけど
パソコンの中に答えはないのかもしれないけど
私は自分が(都合よく)納得したかったのだと思います。
私が悪かったのじゃなく、仕方なかったのだと
みんなに言われても、納得できなかったので
自分が納得できる都合の良い言葉を見つけたかったのです。
いつの間にか3日過ぎ、一週間が過ぎ、2週間が過ぎ・・・
そんなある日、ずっと会っていなかった近所のワン友達に
サリーのことを報告がてらランチしたとき
「サリーは幸せなワンだったんだよ」って言ってもらったら
なんだか気持ちがちょっと楽になって・・・
以来、過去に愛犬を亡くした経験のある人の話を聞くたびに
少しずつ気持ちが楽になっていったような気がします。
やはり「自分の気持ちは人と話すべき」と思いました。
「友達のありがたさ・優しさ」が身にしみました。
私は3年前に母を亡くしています。
難病で介護5でした。
毎日、母の元に通っていたのですが、私自身に大きな問題が発生して
母の元へぷっつりと行かなくなってしまって・・・すぐのことでした。
私の心がもっと強く、母の介護を続けていたら・・・
私のせいで母は亡くなった。
もしかしたら、私の気持ちを知っていて、母は身を引いてくれたのでは?
そんな気持ちを今でも引きずっています。
だからサリーに対して「もっと何かしてあげられたはず」という気持ちも
もちろん悲しくて悲しくて仕方がない気持ちもあるのですが
母のときのことを思い出してしまって
悲しさより「しっかりしなきゃ」って気持ちも大きくて
ひどいペットロスには陥らずに済んだのかもしれません。
サリーもいい時期を選んで、潔く逝ったのだと思うし
たぶん、あまり苦しまずに逝ったと思うし
そう思って進むことにしました。
だって、サリーに出会って、思い出して、悲しくなったんじゃ
サリーがかわいそう。
サリーに出会って、みんなが幸せだったから、楽しかったから・・・
いえ、いつまでもいつまでも私が悲しみを引きずらないように
そのあとすぐにサリーのイタズラ(たぶん)が始まったのです。
続く

サリーがいないことで、すべてのやる気を失ってしまい
最低限の仕事をただただこなすのが精一杯で
食欲もなく、睡眠もとれず、生きていることが楽しくない・・・悲しい・・・
そして、気持ちの中では
「サリーにもっとしてやれることがあったはず」と後悔ばかりで
考えるほど、苦しくなって・・・
ちょうど夏休みの仕事や、お祭りや花火大会やお盆があり
私自身ものすごく忙しくて
日中は人に会い、仕事や会話をしていると、そのことは忘れていて
仕事が終わって会社に帰ると、また思い出し・・・
まだこのブログでお知らせする気力すらなくて・・・
いえ、10年以上記録してきたのだから
最期のお知らせも当然きちんとすべき、自身の記録としても残すべきと
何度も書き始めたのですが、苦しくなって記事としてまとまらなかったのです。
それより、サリーの最期は自然な寿命と運命に任せる
全身麻酔をかけるような検査や延命はしない、と決めていたのに
「なぜ死んだのか?」を知りたくなって
夜な夜なパソコンで原因を探し出しました。
犬の病気のこと、検査のこと、サリーは何の病気だったのか・・・
知りたくて知りたくて・・・
知ったらもっと自分を責めるかもしれないけど
パソコンの中に答えはないのかもしれないけど
私は自分が(都合よく)納得したかったのだと思います。
私が悪かったのじゃなく、仕方なかったのだと
みんなに言われても、納得できなかったので
自分が納得できる都合の良い言葉を見つけたかったのです。
いつの間にか3日過ぎ、一週間が過ぎ、2週間が過ぎ・・・
そんなある日、ずっと会っていなかった近所のワン友達に
サリーのことを報告がてらランチしたとき
「サリーは幸せなワンだったんだよ」って言ってもらったら
なんだか気持ちがちょっと楽になって・・・
以来、過去に愛犬を亡くした経験のある人の話を聞くたびに
少しずつ気持ちが楽になっていったような気がします。
やはり「自分の気持ちは人と話すべき」と思いました。
「友達のありがたさ・優しさ」が身にしみました。
私は3年前に母を亡くしています。
難病で介護5でした。
毎日、母の元に通っていたのですが、私自身に大きな問題が発生して
母の元へぷっつりと行かなくなってしまって・・・すぐのことでした。
私の心がもっと強く、母の介護を続けていたら・・・
私のせいで母は亡くなった。
もしかしたら、私の気持ちを知っていて、母は身を引いてくれたのでは?
そんな気持ちを今でも引きずっています。
だからサリーに対して「もっと何かしてあげられたはず」という気持ちも
もちろん悲しくて悲しくて仕方がない気持ちもあるのですが
母のときのことを思い出してしまって
悲しさより「しっかりしなきゃ」って気持ちも大きくて
ひどいペットロスには陥らずに済んだのかもしれません。
サリーもいい時期を選んで、潔く逝ったのだと思うし
たぶん、あまり苦しまずに逝ったと思うし
そう思って進むことにしました。
だって、サリーに出会って、思い出して、悲しくなったんじゃ
サリーがかわいそう。
サリーに出会って、みんなが幸せだったから、楽しかったから・・・
いえ、いつまでもいつまでも私が悲しみを引きずらないように
そのあとすぐにサリーのイタズラ(たぶん)が始まったのです。
続く

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